やこの日記ブログ

子供の成長と、親として人としての私の成長の記録です。

性格・飽きが“ながら”にさせるのか

若いときは「ながら族」という言葉が流行った。

今でもいうかな。

私はずっと「ながら族」だ。

私の“ながら”

私の“ながら”は、たくさんある。

掃除も料理も音楽やラジオを聞きながらだし、ドラマを見ながらスマホを見てることもある。

一つのことに集中できない。

多分、いつものことに、脳が飽きているんだ。

飽きる

私の場合だけど、掃除や料理は考えなくてもできるようになった。

脳はさほど必要とされない。

必要とされないからそれをするのを嫌がる。

だけど、やんなきゃいけないから、なんとか脳をなだめたい。

で、手っ取り早く音楽を聞かせる。

そうやって、不快なことから脳の意識(この言い方は変だな)をそらす。

飽きない

仕事は、毎日同じことしているけど、それほど嫌じゃない。

やはり対価があるからだろう。

周りに人がいて、気が張ってる可能性もある。

それに、毎日同じことしていても、脳を使わないってことはない。

そうじゃなきゃ、長くは続けられないか。(^_^;)

使われたい

ドラマを見ながらスマホを見てしまうのはなんでだろう。

大事なシーンをたくさん見逃している。

当たり前だ。

あとから主人や友人の話がよくわからないことがある。

きっと、ドラマも途中、どうでもいい話になると脳が飽きてしまうのだろうと思う。

手が届くところにスマホがあれば、脳はそのまま新しい情報を求めてしまう。

慣れる

感動の余韻が短くなっているのかな。

脳も年数を重ねるごとに成長している。

物理的には退化しているかもしれないが、感覚は忘れないのかもしれない。

脳は、同じ感動をなかなか味わえないのだ、きっと。

まとめ 

ながらをすることで、単調な行動を続けていけるのだと思う。

どこかで効率よく動かなきゃと思ってるのかもしれない。

生活も仕事みたいになってる。

我ながら、頭の中がガチガチだ。(^◇^;)